■この記事は2022年12月1日作成・3日に公開しました■
こんにちは まめまめ です
このブログでは、我が家のふたりの娘たちの高校~大学受験を書いていまして
それぞれの体験や経験・感想などを記録することによって
自分自身への振り返りも兼ねております
娘たちふたりとも、手前味噌ではありますが・・・根が真面目なところが長所です
ただ、キャラクターで言えばそれぞれ違うし、学校での過ごし方ももちろん異なるので
中学校時代での偏差値:内申点で書くならば
長女 偏差値<内申点
次女 偏差値>内申点
でした
あ、長女はとびきり内申美人というわけではないです・中学三年の時に部活引退後から受験モードに突入してからの追い上げが凄かったので、内申点もそれに伴って上がりました↓
高校受験は中学二年生までには雲の上の存在だった都立高校に合格できました
そして次女の高校受験・内申点はついに上がらず。。。一般受験で私立高校に進学
第一志望ではなかったものの、入学してみたら次女の個性や思想?に合った高校だったので
それはそれで良かったです
ただ、本当~にこれはブログに書くか悩んだのですが
思い切って書いて、自分でも気持ちの整理をつけようと思います!!
それはですね。。。
。。。。。
皆さんの中学校では、三年生の夏休みに、作文やポスターコンクールに出展する・という課題はありましたか?
中学校の先生からも「内申の評価につながるから是非出展しましょう」という触れ込みでした
長女と次女の中学校でもそういった課題がありまして、塾や高校説明会など何かと忙しい中でも
せっせと書いたり&描いたりしました
長女の場合・夏休みに書いた作文が、とある賞をいただきまして
それが社会科での評価につながり、社会の内申点が【3→4】になりました
受賞の連絡は10月だったかな?なので2学期の内申(受験に用いる)に間に合ったわけです
一方次女ですが。。。
次女が描いたポスターが割と大きなを賞をいただき、9月中に区役所にも掲示されていたようで・・・いや、受賞したって知らなかったのです
だって「受賞した」って中学校から知らされたのが12月入った頃でしたから
忘れもしません・11月の三者面談で知らされた、美術の内申点が前回と変わらず【3】だったことを
12月・次女が中学校から持ち帰ってきた賞状の日付は9月!
どうして??!!!?
。。。。。
もう受験に用いる内申点は決定していますから、12月の時点で仮に【物言い】したところで変わることはまずないでしょうし
親が「受賞したのに内申上がらないんですか?」なんてクレーム?入れたら受験生である次女のマインドにも悪影響を与えかねない・・・(学校側との関係を崩したくない)
ので、黙っていました😣
で、本格的に受験期に突入し、翌年2月には合否も判明し、やがて迎えた卒業式
卒業の日にもらってきた、最後の通知表では・・・
美術は【4】になっていました。。。
内申点、ひとつ違うのは、とても大きいんですよ。。。😭
作品が受賞したからと言って、必ずしも内申が上がるわけではないと理解しています
ただ「評価につながるから」と促しておいてめちゃくちゃ忙しい夏休みに取り組ませておいてそれはないでしょー!って正直思ったし
9月に受賞したのに11月の内申に間に合っていなかったのか?
それとも単純に忘れられていたのか?
受賞していても総合的に【3】の評価なのか?
では、最終の評価が【4】になった理由は?
いろいろ考えると、本当に。。。
内申点制度・腹が立つ
あ~書いちゃった書いちゃった
あ、長女の時の社会の内申【3→4】は、受賞していなかったら【3】だったと先生から直接聞いていますので、評価につながったことは間違いないです!!
というわけで。。。
ずーっと胸に秘めていたモヤモヤを書きなぐる回になってしまいました😣
次女がお世話になった美術の先生、翌年度には異動されたので、あの中学校にはもういらっしゃらないけれど・・・もうこんなモヤモヤ&悲しい思いを他の生徒さんや親御さんに味わってほしくない😭
真相は闇の中で、どうしてこうなったのかは迷宮入りですが
15歳の中学生が、一生を決めるくらい大事な高校受験
内申点のつけ方、もっと開示してくれるようになるといいなと願っています
あ、そうそう内申書(調査書)内の【中学生活の記録】欄にも、ポスターコンクールの受賞にまつわる記載はありませんでした・美術の内申点への評価はされなかったにしても、記載くらいはしてくれてもよかったじゃーん😭
今回の記事を読んだ中学校の先生がいらっしゃいましたら、また保護者のみなさんも
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